愛工大名電3年生で、ドラフト1位の期待がかかる田村俊介さん。
出身校は明徳義塾なのですが、どんな学校なのか気になりますね!
明徳義塾は高校へ内部進学もできますが、なぜ田村俊介さんは進学しなかったのでしょうか?
今回は、田村俊介さんの出身中学・明徳義塾について、そして内部進学せず愛工大名電に進学した理由について見ていきましょう!
田村俊介の出身中学は明徳!
田村俊介さんの出身中学は、明徳義塾中学校です。
〒785-0174 高知県須崎市浦ノ内下中山160
高知駅から車で1時間
明徳義塾中学校は高知県にある私立中学校。
英国のパブリックスクールを参考にした寮制を通した特色ある教育を行っています!
また、全員が部活動に参加し、学校全体で文武両道を後押ししているようです。
その甲斐あって部活動は強豪が多いことでも有名!
体育系の強豪:野球部、ゴルフ部、卓球部、相撲部、サッカー部など
文化系の強豪:吹奏楽部、美術部、和太鼓部など
野球部も、全国大会で史上初の2連覇を筆頭に、様々な大会で好成績を残しています!
全国中学校軟式野球大会優勝(17回最多出場、史上初2連覇達成)、全日本少年春季軟式野球大会優勝、全日本少年軟式野球大会準優勝など
有力な選手を囲い込むため、県内外を問わずスカウトすることが多いという甲子園出場校。
明徳義塾も例外でなく、全国から才能あふれる球児を集めてきているようです!
花咲徳栄(埼玉)、大阪桐蔭(大阪)、明徳義塾(高知)など、レギュラーの大半が県外出身というチームは多い。
引用:ニュースポストセブン
そんな中、田村俊介さんは「過去に一度対戦した明徳義塾の先輩と野球がしたい」という思いをもって明徳義塾中学校に入学。
「中学の軟式にもスカウトの方が見に来てくださることを知っていましたし、軟式の方が怪我のリスクが少ないので、軟式野球を継続していました。そのなかで、過去に一度対戦した先輩が凄くいい選手で、『一緒にやりたいな』と思って追いかけていったのが決め手になりました」
引用:高校野球ドットコム
全員がうまいという状況の中でレギュラーを勝ち取り、チームの中心として活躍するようになっていきました!
関戸康介以外にも、明徳義塾中には田村俊介と言う好選手がいる。京都から高知へ野球留学したスーパー中学生。マウンドに上がれば、最速は130を超え、打者としても中学トップクラスの選手として活躍。#田村俊介#明徳義塾 pic.twitter.com/tiKXMR3J7W
— shi-taka5151 (@shi_taka5151) August 13, 2018
全国の中学生の中でトップクラスの技術を誇るスーパー中学生として、明徳義塾中学校の野球部をけん引。
しかし田村俊介さんは、明徳義塾中学校から愛工大名電への進学を決めました。
明徳義塾中学校には、別の高校に進学する際には卒業を待たずして他の中学校に転校しなければならないというルールが存在します。
田村俊介さんも、中学3年生の2学期から地元・舞鶴市の和田中学校に転校し、その後愛工大名電に入学しました!
田村俊介が明徳義塾中から愛工大名電に進学した理由は?
田村俊介さんが明徳義塾中から愛工大名電に進学した理由は以下の2つ。
- 高知県とは違う場所で力を試したい(他県の強い高校に行きたい)
- 『超攻撃野球』という愛工大名電の方針に共感した
野球は全国的に見ると大阪桐蔭、履正社、上宮太子、近大付属などを擁する大阪府、そして東邦、愛工大名電、中京大中京などを擁する愛知県などが強豪とされています。
そうした野球の強い県に進学したい思いがあったようです。
「せっかく3年間をここで過ごしたんやから、もう3年間、明徳で過ごして花を咲かせたらどうや、という話はしました。でも、『よその方が強いから』と言われたら、こちらは何も言いようがない。親御さんの意向もある。隣の芝は青く見えるんやろうね……」
引用:ライブドアニュース
明徳義塾野球部の馬淵史郎監督も引き留めたものの、気持ちは揺らがなかった田村俊介さん。
明徳義塾中学校で同級生だった関戸康介さんも、高校は大阪桐蔭に進学しエースとして活躍していますし、上を目指す人にとっては物足りなさを感じるのかも?
そして、打者として高校でもっと成長したいと思った田村俊介さんに、愛工大名電の野球のスタイルがマッチしたようです。
愛工大名電が甲子園に『超攻撃野球』というのを掲げて出場していたのを見たんです。
中学時代は打者メインでプレーをしていたので、高校でも打者として成長したいと思って愛工大名電への進学を決意しました」引用:高校野球ドットコム
そこでもしっかりレギュラーとして活躍しているのですから、すごいですね!