関戸康介の出身小学校は佐世保市の広田小!ホークスにも所属!中学転校の理由は?

現在の高校野球で、トップに君臨し続けているチームといえば、大阪桐蔭の名前が挙がるでしょう。

そのチームの中でエースとして知られるのが関戸康介さん。

明徳義塾中時代に最速146㌔を記録するという剛腕を持ち、テレビ番組「ミライ☆モンスター」(フジテレビ系)に取り上げられていました。

そんな関戸康介さんは出身小学校は広田小という小学校のようです。

調べてみると、小学校の時からすごい実力を発揮していたこともわかりました!

というわけで今回は、関戸康介さんが通っていた小学校について、小学生の頃の活躍、 明徳義塾中学校から地元中学校に転校していた訳について調査していきたいと思います!

関戸康介の出身小学校は佐世保市の広田小学校!

関戸康介さんの出身小学校は、佐世保市立広田小学校です。

この小学校で野球の才能を発揮していたのですね!

詳しい活躍などはこの次の部分で見ていきたいと思います。

広田小学校

〒859-3223 長崎県佐世保市広田一丁目25番4号

西肥バス「広田小学校」から徒歩2分

広田小学校は、同じ学区の広田中学校と「小中連携」を積極的に行っています。

小中対抗の駅伝大会や、部活動体験をしたりしながら、交流を深めているのだそう。

関戸康介さんも、こういった環境で、上級生の背中も見て刺激を受けていたのかもしれません。

関戸康介の小学校時代の活躍は?

関戸康介さんは小学校時代からすでにその怪物ぶりを見せつけていました。

その活躍ぶりを見ていきましょう。

少年野球チーム「セインツジュニア」時代に全国大会出場!

関戸康介さんは小学校の時から「セインツジュニア」という長崎の少年野球チームに所属していました。

[box04 title=”セインツジュニアの基本情報”]

種類/活動地区  野球 小学生 混合 軟式 / 長崎県 佐世保市広田

所属リーグ    佐世保軟式野球連盟

設立  2009年(平成21年)以前

[/box04]

ここで関戸康介さんはレギュラーとして活躍しました!

関田康介さんが小学校6年生の時には、チームは数々の輝かしい成績を残しています!

平成27年度
・春季少年学童野球大会  優勝
・第35回全日本学童野球大会 長崎県大会 優勝
・高円宮賜杯第35回全日本学童軟式野球大会マクドナルド・トーナメント 全国大会出場
・平成27年度 長崎県スポーツ少年団軟式野球交流大会 県大会出場
・第44回県少年選手権大会 県大会出場 準優勝  など

県大会や全国大会にバンバン出場するような、強豪チームに所属していた関戸康介さん。

この頃から、身長171cm、ボールの速さは130km/hだったというから驚き!

あの大谷翔平の少年時代を超えると話題になっています。

関戸康介と大谷翔平

ちなみに、現在の小学校6年生男子の平均身長は145.2cm。

関戸康介さんは平均よりなんと26cmも大きかったことになります!

関戸康介さんはホークスjrのメンバーだった!

そんな野球の才能に溢れた関戸康介さん。

なんと小学校6年生の時に2015年福岡ソフトバンクホークスジュニアのメンバーとしても活躍したのです。

関戸康介

なんだか将来プロで活躍する姿を予想させる写真ですよね!

背番号18、投手として活躍しました。

球団のジュニアチームが集まって行われる「NPB12球団ジュニアトーナメント」では、なんと129km/hの速球を投げており、関戸康介の名は全国に知られることになります。

すでに投げ方が大人顔負けですよね。

なぜ、こんな速球が投げられるようになったんでしょうか?

関戸康介さんは、テレビ「TOKYO応援宣言」のインタビューで次のように話しています。

ーそんなに速いボールを投げられるようになったのはなぜ?

下半身の強化ですね。走り込んだり足を高く上げてみたりしてバランス感覚を整えたりしたら軸足が固まってきた。

野球を続けていく中で「下半身を強くすると速い球を投げられる」と分かり、走り込みや足を高く上げるなど、自分で考えて練習を重ねてきたということですね。

また、次のようにも話しています。

ーすごく下半身がどっしりしていますね。小さい頃から?段々しっかりしてきた?

多分段々です。

この発言からも、小さな頃から天才的に恵まれただけでなく、努力を重ねることで実力がついてきたことがわかりますね。

関戸康介の出身中学は明徳義塾だが、広田中学校へ転校!

関戸康介さんは広田小学校卒業後、高知県の明徳義塾へ進学しました。

明徳義塾中

〒785-0174 高知県須崎市浦ノ内下中山160

高知駅から車で1時間・高知龍馬空港から1時間

明徳義塾中学は、全国中学校軟式野球大会で4度優勝を誇る名門です。

明徳義塾は強制ではないものの殆どの生徒が山の中にある寮で生活をしているそうで、グラウンドも山の中にあります。

関戸康介さんはなぜわざわざ親元を離れ明徳義塾に進学したのでしょうか?

それには、明徳義塾の監督である神谷洋隆監督の存在があったようです。

神谷洋隆監督

神谷監督は関戸康介さんが小学校6年生の10月に直接長崎県佐世保市を訪れ、直接勧誘をしたのです。

「神谷監督の指導が自分に合っている」と感じた関戸康介さんは、明徳義塾へ進学を決めたのだそう。

関戸康介さんへの口説き文句は「一緒に明徳義塾中学で野球をやってプロ野球目指そう」という言葉。

着実に夢に近づいている関戸康介さんを見ると、神谷監督との出会いは欠かせないものだったのですね!

明徳義塾中学でも、関戸康介さんはエースと呼ぶにふさわしい活躍を見せました。

・中学1年生→5月には先発を任され、全国大会3年連続で出場

・中学2年生→全日本少年春季軟式野球大会でベスト4

・中学3年生→全日本少年夏季軟式野球大会で準優勝

しかしながら、関戸康介さんは卒業を前にした中学3年生の11月、地元の広田中学校に転校します。

なぜ転校をきめたのでしょうか。

実は、大阪桐蔭に進学するための転校だったと言われています。

実は、明徳義塾には「付属の高校に進学しない者は、卒業を待たずして退学しなければならない」という決まりがあるのです。

関戸康介さんは「大阪桐蔭高校だと野球をやめた時のために勉強もしっかりできる」「自分を更にレベルアップするには環境を変えていくしかないと思った」という思いで大阪桐蔭への進学を決めています。

野球の実力だけでなく、自分の行く先を冷静に見極めている姿はさすがといったところですね。

まとめ

以上、広田小学校はどこにあるのか、小学生の頃の活躍は? 明徳義塾中学校から地元中学校に転校していた訳についての調査でした!

幼い頃からその怪物ぶりを遺憾なく発揮している関戸康介さん。

これから甲子園、そしてプロ野球でその活躍をたくさん見られるといいですね!

注目していきましょう!