最近テレビで見ない日はない、俳優の山田裕貴さん。
実は、小学3年生ごろから中学校まで野球に打ち込んでいたのだとか!
いったいポジションはどこだったのか、背番号やチームについても気になります。
今回は、山田裕貴さんの野球のポジションはどこだったのか、所属チーム、球速、プロ断念のきっかけについて調査していきます!
目次
山田裕貴の野球のポジションはピッチャー!
山田裕貴さんの野球のポジションはピッチャーです!
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きれいなピッチングフォームですね!
山田裕貴さんは、小学校3年生から中学校まで野球を続け、ピッチャーとして活躍しました。
体型がわかりやすい服を着ることが少ない山田裕貴さんですが、腕を見ると、野球をやっていたのも納得のがっちり具合。
今でも撮影の間にピッチングをして、野球好きは衰えていないようです!
それでは、野球一筋だった中学生時代についても見ていきましょう!
山田裕貴が所属していた野球チームは「名古屋北シニア」!
中学生の時には、部活ではなく「名古屋北シニア」というクラブチームで野球をしていました。
こちらがバットを振る山田裕貴さんです!
背番号はわかりませんでしたが、ピッチャーポジションの場合、一般的に1番を付けることが多いようです。
ですので、山田裕貴さんの背番号は1番だったかもしれません!
中学生が所属するシニアリーグでは、硬球を使い、高校野球と同じルールでゲームをします。
その為、真剣に野球をやりたい、プロになりたいという選手が多いことが特徴です!
山田裕貴さんの所属チーム・名古屋北シニアでも、卒業生は野球強豪校の横浜高校や愛工大名電高校などに進学することが多い様子。
そんな環境の中で、山田裕貴さんもプロ野球選手を目指して練習に熱中していました!
山田裕貴の球速は?
そんな山田裕貴さんの球速は、なんと142キロ!
しかも、これは現役時代の記録ではなく、野球から離れて15年たった2021年の記録だというから驚きです!
俳優の山田裕貴さんが(2021年)2月7日にSNSを更新。球速などを測るテクニカルピッチを使ったピッチング練習で球速142キロをマークした動画を公開しています。
引用:ねとらぼエンタ
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ドラマ撮影の合間に行ったピッチング練習で出した記録だったそう。
キャッチャーを務めた男性は計測結果にあ然としたまま「142出ました!」と山田裕貴さんに報告しています。
まさか142キロの速球が飛んでくるなんて思わなかったのでしょう!
この速さは誰にでも出せるものではありませんね。
山田裕貴が野球チーム時代からイケメンだと話題に!
そんな山田裕貴さん、野球チーム「名古屋北シニア」に在籍していた中学生の時からイケメンだと話題になっています!
そんな山田裕貴さんの野球チーム時代はこちら!
目鼻立ちの整ったイケメンですね!
特徴のある目や眉など、現在の山田裕貴さんとほとんど変わりません。
しかし、高校生になると野球をやめ、風貌にも変化が現れます。
なぜ野球をやめてしまったのか、見ていきましょう!
山田裕貴がプロ野球選手の夢を断念した理由は?
山田裕貴さんは中学生まで、プロ野球選手になることを夢見て野球に打ち込んでいました。
その夢を断念してしまったのは、父親に対するコンプレックスに押しつぶされてしまい、野球を楽しいと思えなくなってしまったからだそう。
実は、山田裕貴さんのお父さんは、元中日ドラゴンズ選手で現広島東洋カープコーチの山田和利さん。
山田和利さんは、1983年にドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受け、1996年までプロ野球選手として活躍しました!
お父さんがプロ野球選手だなんて、かっこいいですね!
しかし同じ道を歩む息子にとっては、かなりのプレッシャーになっていたそう。
「プロ野球選手だった父親にずっとコンプレックスがあったんです。野球少年だった自分は父にすごく壁を感じていて、負けちゃいけないって漠然と思ってた。父を意識していた分、全然楽しくやれていなかったんです。だから、野球を好きになれなくて結局途中でやめてしまいました」
引用:マイナビウーマン
周りからも、お父さんと比べられていたという山田裕貴さん。
野球では結果が出せなくて「プロ野球選手の息子なのに」という心無い言葉をかけられることも。
そんなコンプレックスに耐えられず、中学生までで野球をやめてしまいます。
その後、お父さんと同じ野球の名門・東邦高校に進学するも、バレーボール部に入部し、野球とは縁のない3年間を過ごします。
野球をやっていた頃とは雰囲気が違いますね。
野球をやめて、それなりに楽しく過ごしていた高校時代。
しかし、高校3年生の夏、転機が訪れます!
高校3年生のとき、僕が通っていた高校が甲子園に出たんです。応援に行った甲子園球場で試合に出る友だちの姿を見ていたら、ありえないくらい涙が溢れてきて。そこで思い出したんです。『俺は野球をやれとは言ってない。自分でやるって言ったことをなんでやめたんだ? だから悔しいんだぞ』っていう父親の言葉を。
引用:マイナビウーマン
友達が甲子園に出ているのを見て、野球を途中で諦めてしまったことへの後悔が溢れて止まらなくなったのだそう。
お父さんからは「自分で決めたことを途中でやめてしまった」ことに対して怒られ、ハッとします。
そこから、「次やることは、死ぬまで続けよう」と思った山田裕貴さん!
「野球選手としては無理でも、俳優としてお父さんよりテレビに出たい」と思うように。
野球選手としてテレビに出ることはできないけれど、役者としてだったら出られるかもしれないと根拠のない思いつきが浮かんで…。
ここから、山田裕貴さんの俳優人生が始まっていったのです!
山田裕貴のプロフィール
ここで、山田裕貴さんのプロフィールを確認していきましょう!
名 前 山田裕貴(本名)
生年月日 1990年9月18日(30歳)
出 身 地 愛知県名古屋市
身 長 178cm
血液型 O型
山田裕貴さんの代表作として名前が挙げられるのは、「海賊戦隊ゴーカイジャー」。
ゴーカイブルー役という大役でした!
しかしこの時、山田裕貴さんはまだ俳優としては駆け出しのころ。
当然ですが、まだまだ演技も上手くいかず苦しんでいたようです。
しかもこの時は東日本大震災があり、無力感を感じていました!
しかし11話12話と、ゴーカイブルーがメインの話の撮影を終えた時、すこしずつ自分に自信がついてきたといいます!
しかも、「大きくなったらゴーカイブルーになりたい」という手紙ももらって、自分の仕事の意味を感じられるようになりました。
「自分で決めた俳優という道を死ぬまで続ける」という信念をこれからも持ち続けていくことでしょう!
まとめ
以上、山田裕貴さんの野球のポジションはどこだったのか、球速、俳優転身のきっかけについての調査でした!
「カメレオン俳優」としてめきめきと頭角を表しつつある山田裕貴さん!
これからも出演がどんどん増えていきそうです。
応援していきましょう!